日中对照 畅销悬疑小说《告白》 连载五
今天开始连载《告白》的第五章第一章是悠子老师对全班同学的告白,揭发杀害自己女儿的凶手并宣布复仇。
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第二章是班长美月写给悠子老师的一封长信,叙述新学期班上事态的发展,主要是修哉如何处理班上同学对他的欺负。另外还引出了直树杀母事件。
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第三章主要内容是被杀的直树妈妈的日记,详细描写了直树蹲在家里的情况,另外还展示了一些日本典型家庭的教育理念。
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第四章是直树回忆自己杀害悠子老师女儿以及遭报复后关在家里直至最后发狂杀母的前后经过和详细的心理活动。
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本章将是整个事件最关键的人物ーー修哉的自述。这一事件还远没结束,修哉正在策划一个更骇人的计划。
好,下面连载开始。
本帖最后由 reiuka2 于 2011-6-8 13:13 编辑
第五章 信奉者
遺書
幸福は脆く儚いシャボン玉。――中二男子の遺書の冒頭がこれでは、気持ち悪いだろうか。
唯一無二の愛する人が去った日の夜、風呂に入ると、シャンプーまで空になっていた。人生なんてこんなものだ。仕方なく、一回分に間に合う程度の水を足し、力一杯振ると、半透明のボトルの内側は小さな泡で満たされた。
そのとき思った。これは自分だ。空っぽの中にわずかに残る幸福の残骸を薄めてのばし、小さな泡に変えて満たす。空洞だらけの幻だとはわかっていても、空っぽよりはマシだった。
八月三十一日、今日、学校に爆弾を仕掛けた。
遠隔操作式爆弾のスイッチは、ケータイの発信ボタンだ。爆・破装置に組み込んだケータイを振動させることにより、爆発する仕組みになっている。このためだけに新規契約したケータイだが、番号さえわかれば誰のケータイでもスイッチになり得るし、間違い電話でもかかってくれば、五秒以内に、ボン!だ。
爆弾は体育館ステージ中央の演台の中だ。
明日は二学期の始業式、全校生徒が体育館に集合する。自分はそこで表彰される予定だ。一学期に書いた作文が、県の最優秀賞に選ばれたのだ。昨日、担任の寺田から連絡をもらい、段取りを聞いた。
ステージに上がり、校長から賞状を受け取った自分は、そのまま校長と入れ替わりに演台の前に立ち、作文を読むことになっている。しかし、そんな無意味なことはしない。代わりに、短く別れを告げる。そして、スイッチを押しーー。
この前代未聞の少年犯罪に、テレビ局は食いつくだろうか。マスコミは大騒ぎするだろうか。そうなると、自分はどのような人間として扱われるだろうか。「心の闇」などという陳腐な言葉を使い、ありきたりな想像を語られるくらいなら、このウェブサイトをそのまま公表してほしい。残念なのは、未成年であるがゆえ、実名を公表されないことだ。
木の端みじんに吹っ飛ぶのだ。無駄に存在している、多くの馬鹿どもを巻き添えにして。
しかし、世間はいったい犯罪者の何を知りたいのだろう。生い立ち、内に秘めた狂気、それともやはり、事件を起こした動機だろうか。では、そのあたりから書いてみようと思う。
第五章 信奉者
遗书
幸福就像虚无缥缈的肥皂泡泡。——国中二年级男生的遗书用这句破题会不会太恶心了点?
唯一爱的人弃我而去的那天晚上,要洗澡的时候发现连沐浴精的罐子都空了。人生就是这样。我没办法只好在沐浴精的瓶子里灌了足够洗一次分量的水,用力摇晃,半透明的瓶子里充满了小小的泡沫。
那个时候我就想,这就是我。稀释了一无所有的空壳中仅存的幸福残骸,变成满满的小泡沫。即使知道这全是空洞的幻象,但总比一无所有要好。
八月三十一号。今天我在学校装了爆弾。遥控引爆装置的开关是手机简讯的送出键。装在爆弾里的手机只要震动就会引爆。我特地去新办了一支手机,只要知道号码,谁的手机都可以引爆,连打错的电话也会在五秒之内,砰!
爆弾装在体育馆舞台中央的讲台里面。
明天是第二学期的开学典礼,全校学生都会在体育馆集合。我预定要接受表扬。昨天班导寺田打电话来说我第一学期写的作文获得全县第一名,告诉我在开学典礼上表扬的程序。
我上台接受校长颁发的奖状之后,就代替校长上讲台,朗读自己的作文。但是我不会做那种没意义的事。我会发表一段短短的告别辞,然后按下手机按键——
一切都灰飞烟灭。还拉上一堆没用的废物垫背。
这次前所未闻的少年犯罪,电视台会紧咬着不放吧?媒体会大为骚动吧?这样的话我会被视为怎样的人呢?要是把“内心的黑暗”这种陈腐言词跟老套的想象套在我身上的话,不如就公开这个网页。可惜的是因为我未成年而不能公开真实姓名。
大家到底想知道犯罪者的什么呢?成长过程、隐藏在内心的疯狂念头,说穿了还是犯罪动机吧?这样我就针对这一点来写了。
哦,修哉准备做人肉炸・弹,制造校园爆・炸案了。这应该是他写在博客上的文字。
翻译方面有说两个错误。
1 遠隔操作式爆弾のスイッチは、ケータイの発信ボタンだ。
控引爆装置的开关是手机简讯的送出键。
这个発信ボタン其实就是通话键。
2 爆・破装置に組み込んだケータイを振動させることにより、爆発する仕組みになっている。
装在爆弾里的手机只要震动就会引爆。
手机并不是装在炸・弹里的,它是一个引爆器。
跟爆・破装置相连的手机只要震动就会引爆炸・弹。
殺人が犯罪であることは理解できる。しかし、悪であることは理解できない。人間は地球上に限りなく存在する物体の一つにすぎない。何らかの利益を得るための手段が、ある物体の消滅であるならば、それは致し方ないことではないだろうか。
しかし、こんな自分であっても、学校で「命」というテーマで作文を書けと課題が出れば、クラスの誰より、いや、県内の中学生の誰よりも上手く書けるのだ。
ドストエフスキーの『罪と罰』から「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、現行秩序を踏みこえる権利を持つ」という部分を引用し、それに対して「命の尊さ」という言葉を用いながら、この世に肯定してもよい殺人などないことを、中学生らしい言葉で主張する。原稿用紙五枚、半時間足らずの作業だ。
何を言いたいのか?文章で表す道徳観念など、学校に入ってからの単なる学習効果でしかないということだ。
殺人は悪である、と本能で感じる人などいるのだろうか。信仰心の薄いこの国の人たちの大半は、物心つき始めた頃からの学習により、そう思い込まされているだけではないのか。だからこそ、残虐な犯罪者が死刑になるのは当然だと認めることができるのだ。そこに矛盾が生じているにもかかわらず。
しかし、ごくまれに、学習により、己の地位や名誉とは関係なく、たとえ犯罪者であろうと命の重さは同じ、と異議を唱える人もいる。いったい、どのような学習を受ければ、そのような感性が育つのだろう。生まれたときから、命の尊さを謳った昔話(そんなものあるのか?)を、毎晩耳元でささやき続けられたのだろうか。もしそうならば、納得できる。自分がそのような感性を持ち合わせていないことに。
母親は昔話など一度も聞かせてくれたことはないのだから。添い寝はしてくれた。しかし、毎晩聞かせてくれるのは、電子工学の話ばかりだった。電流、電圧、オームの法則、キルヒホッフの法則、テブナンの定理、ノートンの定理……。夢は発明家になることだった。どんなガン細胞でも取り除ける機械を作りたかった。物語の最後はいつもこの言葉で締めくくられた。
価値観や基準というものは、生まれ育った環境によって決められる。そして、人間を判断する基準値は、一番最初に接する人物、つまり、大概の場合は母親によって決められるのではないかと思う。例えば、あるAという人物に対して、厳しい母親に育てられた人は、この人は優しい人だ、と感じ、優しい母親に育てられた人は、この人は厳しい人だ、と感じるように。
我了解杀人是犯罪。但我不能了解这为何是坏事。人只是地球上无数生物之一。为了得到某种利益而消灭某个物体的话,那也是没办法的事不是吗?
就算我这么认为,学校出了“生命”这个作文题目的话,我还是能比全县所有中学生写得好。
我引用了杜斯妥也夫斯基的《罪与罚》里“被选中的非凡人物为了新世界的成长,有超越现行社会规范的权利”,然后使用“生命的尊严”等词汇,用中学生的口吻主张这个世界上没有能被认可的杀人行为。原稿用纸五张,半小时不到就写完了。
我要说什么?我要说的就是用文章表现的道德观,单纯只是教育的学习成果而已。
有人本能觉得杀人是坏事吗?这个信仰薄弱的国家里大部分的人,因为从懂事开始就被灌输这种观念,所以才根深蒂固了不是么?正因为如此才会认为残忍的犯罪者当然该判处死刑。连这里面的矛盾都看不出来。
但是非常罕见地,也有在接受了教育之后,不顾自己的地位跟名誉,主张就算是犯罪者生命也一样宝贵的人。到底要接受怎样的教育才能培养出那种感性呢?从出生开始就每天晚上听歌颂生命尊严的故事(有这种玩意吗)?要是这样的话我可以理解为何自己没有这种感性。
因为我从来没听过母亲给我讲故事。她有陪我睡。但每天晚上听的都是电子工程学的话。电流、电压、欧姆定律、基尔霍夫定律、戴维宁定理、诺顿定理……。母亲的梦想是成为发明家。要制造能够消除任何癌细胞的机器。她的故事总是以这句话作结。
一个人的价值观跟标准是由成长环境决定的。而判断他人的标准是依据自己最初接触的人物而定,我想这个人通常都是母亲。比方说同一个人物A,由严格的母亲养出来的人会觉得A很温和;但由温柔的母亲养出来的人就会觉得A很严格。
这段修哉描述自己思想的话显得有点深奥。感觉就是个早熟而阴暗的孩子。特别是他明明心里是一套,表面却投教育者所好的做法实在让人不寒而栗。
翻译得不错,只有一个词说说。
1 殺人が犯罪であることは理解できる。しかし、悪であることは理解できない。
我了解杀人是犯罪。但我不能了解这为何是坏事。
理解翻译成了解。不符合大陆对了解这个词的理解。这里翻成认可比较好。
少なくとも、自分にとっての基準は母親だ。しかし、彼女よりも優れた人間に、未だかつて、会ったことがない。つまり、自分の周囲には、死んだら惜しいと思う人間は誰一人いないということだ。そこには、残念ながら父親も含まれる。田舎の電気屋の店主らしく、陽気で快活、それだけだ。嫌いではないが、生きている価値があるとは思えない。
どんなに聡明な人間にもスランプの時期はある。本人に落ち度はないのに、他者から迷惑を被るというツイでいない時期もある。母親が父親に出会ったのは、まさにそんな時期の真っ只中だった。
帰国子女であり、日本のトップクラスの大学の博士課程で電子工学を専攻していた母親は、自身が進めてきた研究の最終段階で大きな壁にぶちあたってしまった。その上、時を同じくして、交通事故に遭ってしまう。
学会でこの地方の国立大学を訪れた帰りのことだった。東京行きの夜行バスが、運転手の居眠りで、崖に衝突してしまったのだ。死傷者が十名以上も出るという、大惨事だった。そのとき、顔面を強打し、気を失いかけている母親を車外に連れ出し、最初に到着した救急車に乗せてくれたのが、同じバスに乗っていた父親だった。彼は学生時代の友人の結婚式に向かう途中だったそうだ。
それをきっかけに二人は結婚し、自分が生まれた。いや、順番は逆だったかもしれない。課題を残したまま、博士課程を修了した母親は、磨き続けてきた才能を生かすことなく、この田舎町にやってきたのだ。
それは、ある意味、彼女のリアビリ期間だったのかもしれない。
徐々に寂れていく商店街の電気屋の片隅で、母親はいつも自分に、彼女の持っている知識のほんの一部をわかりやすく教えてくれた。時には、小さな目覚まし時計の蓋を開いて、時には、大きなテレビを解体して、発明には終わりがないのだ、ということを語り続けてくれた。
「修ちゃんは、とっても頭のいい子。ママが果たせなかった夢を託せるのは、修ちゃんだけよ」
そんなふうに言いながら、断念してしまった研究を、小学校の低学年の子供でも理解できるように、繰り返し説明しているうちに、何か閃くものがあったのかもしれない。母親は父親に内緒で論文を書き上げ、それをアメリカの学会に送った。自分が九歳のときだ。
しばらくすると、母親がいた研究室の教授だという男が、彼女に大学に戻るよう説得にきた。隣室で聞き耳を立てていた自分は、母親がいなくなってしまうかもしれないという不安よりも、彼女を高く評価してくれる人がいるという喜びの方が優っていた。
至少我的标准是我母亲。但是我还没碰到过比她更优秀的人。也就是说死了会令人感到可惜的人,我周围一个也没有。很遗憾这包括了我父亲。他就是个爽朗的乡下电器行老板。虽然并不讨厌,但也没有活着的价值。
不管多么聪明的人都有低潮的时候。也有虽然不是自己的错,却被别人牵连的困顿时期。母亲就是在这种时候遇见父亲。
母亲是归国子女,在日本顶尖的大学读电子工程博士。她研究的最后阶段碰上了很大的阻碍,就在此时还发生了车祸。
她参加学会活动从外县市的国立大学回东京的时候,夜间客运巴士的驾驶打瞌睡,车辆翻落到山崖底下,死伤人数超过十人,非常严重。父亲搭乘同一班巴士要去参加学生时代朋友的结婚典礼,他把撞到头失去意识的母亲从车上拖出来,送上最先到达现场的救护车。
两人因此相识结婚,生下了我。不,顺序说不定相反。母亲没有完成研究题目,只修毕了课程,完全没有发挥之前磨练的才能,就这样到乡下来定居。
这在某种程度上或许可说是她的复健时期。
母亲总是在越来越冷清的商店街电器行一角,用简单明了的方式把她拥有的知识教给我。有时拆开小闹钟、有时分解大电视,告诉我发明没有尽头。
“阿修是非常聪明的孩子。妈妈无法完成的梦想就只能交给阿修了。”
母亲一面这么说,一面用连小学低年级生都能理解的话,反复解释她没有完成的研究时,说不定灵光一现。她瞒着父亲写了论文,送到美国的学会。那时我九岁。
过了没多久,母亲以前研究室的教授就来劝说她回大学去。我在隔壁房间偷听,有人肯定她优秀的才能让我非常高兴,甚至胜于母亲可能离开的不安。
本帖最后由 reiuka2 于 2011-6-10 16:02 编辑
这段是修哉讲述自己的身世。由于父母不相配的结合,导致他成长的环境很怪异。
翻译也不错,有个小问题。
東京行きの夜行バスが、運転手の居眠りで、崖に衝突してしまったのだ。
夜间客运巴士的驾驶打瞌睡,车辆翻落到山崖底下
就是撞到山崖上而已,没有翻落山崖的意思。
目前为止,这一章的翻译发挥不错。